九州豪遊の旅2002(part2)



2日目(2月28日)


1.高千穂鉄道

 9時15分に延岡に到着した。改めて「彗星」をみると、なんと4両という哀れな姿であった。しかも隣のホームには、元急行型の普通電車が40分も道草を食っていた。

高千穂鉄道の改札口で、切符を出し、1両編成で停車していた、高千穂行きのレールバスに乗りこんだ。オールボックスシートの車両であった。そこのワンボックスを独り占めして、発車を待っていると、小倉行きのハイパーサルーンの「にちりん」が到着した。車内を見てみると、自由席は結構空席があった。どうやら、延岡で大半の自由席の客は降りたようであった。高千穂鉄道に乗ってくる乗客は少なかった。だいたいワンボックスに一人と言う形で落ち着いた。9時40分頃になって、やっと道草を食っていた普通列車が発車していった。そして、9時47分定刻に発車した。

 大分方へ少し進んだ後、左へ急カーブしていく。すると、延岡の町並みは消えていき、山へ入っていく。次の西延岡駅を出ると、山間ムードが高まってくる。日向奥元駅では、反対列車の行き違いがあった。来たのは、指定席車を連結している、「たかちほ号」であった。車内を見ると、車両真ん中には、ロングシートみたいなソファになっていた。そして、他は、転換クロスシートのようになっていた。前は、前面展望が可能なパノラマタイプとなっていた。

そして、次の行き違いの駅、川水流駅では、駅構内が広く、駅員までもいた。川水流駅を出ると、川沿いを走るようになった。早日渡〜上崎間では、国道のコンクリートの大橋があった。それを車内放送が案内をしていた。水面からの高さが80メートルというのは、驚いた。

早日渡駅を出ると、次は、大きな赤いアーチ型の橋が見えた。干支大橋であった。十二支の干支をちなんで付けられた名前で、水面からの高さが100メートルであった。どんどん先にレールバスが進んでいくと、今度は、槙峰駅の近くに、水面から115メートルと言う一番高い橋があった。あわててカメラに撮った。日向八戸に来ると、列車は減速をはじめ、車内放送が入った。干支観音滝で、高さは40メートルであった。このように滝の高さや橋の水面からの高さに驚いた旅であった。延岡から約1時間で、次の目的地の日之影温泉駅に到着した。


 ここは、無人駅だが、駅舎には、温泉やみやげ物や、食堂などが完備されていて、充実していた。温泉の中は、すごく広い事はなかったが、人が少なくて、入りやすかった。サウナ、泡風呂、普通の露天風呂などがあり、最低限のものはあった。そして、約20分くらい湯につかり、風呂から上がり、待合室を見てみた。すると、温泉併設駅だからなのか、信号があり、赤が発車5分前、黄色が15分前、というようなものがあった。黄色に変わる前に、駅の待合室へ向かった。ホームに出ると、すでに天気が良くなっていた。


 しばらくしてから、高千穂行きの列車が来た。来たのは、パノラマカーを連結した車両であった。しかし、指定席のパノラマのほうには、誰もいなかった。よくみると、女性乗務員がいた。しかも、車内販売があるではないか。しかし、一般車の所へは売りに来る事はなかった。高校生が多く、通学列車となって、終点の高千穂に到着した。

 高千穂駅の周りには特にこれと言った特徴はなかった。しかし、いづれは阿蘇のほうにつながっていたであろう路線は、もう車庫となっていた。駅前に土産物屋を発見し、ここで、買った。そして、折り返しは、指定席の列車かと思っていたが、切り離されて、一般型の単行レールバスとなって、ホームに停車していた。すぐに車両に乗りこんだ。車内には、数人しか乗らずに、12時32分に発車した。

 天岩戸駅を過ぎると、日本で一番水面から高い高千穂橋梁を渡った。高さは105メートルである。下の川は、岩戸川であった。車内案内を聞いてなるほど、すごく高いと感じてしまった。これは、高所恐怖症は無理だと感じてしまうほどであった。また延岡に戻る列車なので、見逃していた所をチェックしながら、車窓を見ていた。高千穂鉄道の特徴は、橋の高さが高い事、それから、各駅には、必ずと言って良いほど、傘が数本、駅の待合室などに置かれていた。これがすごい特徴でもあった。終点の延岡には、13時49分に到着した。高千穂鉄道の旅は大成功に終わった。

 延岡に着き、今度は、「にちりん」、「きりしま」と乗り継いで、一気に鹿児島県の隼人まで行くことにした。


2.485系の特急「にちりん」・「きりしま」

 15時15分、定刻通り特急「にちりん」は、到着した。なんと、驚いた事に国鉄色をした485系が到着した。なんと、ラッキーな事であろうか…。外見だけは、国鉄色で中身は、ちゃんと普段のレッドエクスプレスと同じアコモデーションであるので、気分の問題である。しかし、中身まで、あの国鉄時代の非リクライニングの自称詐欺ロマンスシートだったら、大ブーイングになるのだが…。

自由席は、混んでいるのかと思っていたが、意外にも喫煙の自由席は、空いていた。ワンボックス状態にする事が出来た。延岡を発車してから、しばらくすると、海が見えるようになってきた。宗太郎越えをしてきた分、海が見えるのは、大きく感動をする事であろう。485系は、かなりスピードを上げて走っていた。ここから、宮崎まで線路が改良されているからであろう。日向市駅では、たくさん乗り込んできたが、うまい事50%の乗車率で落ち着いた。日向市を出て、高鍋辺りに近づくと、海に急接近するようになる。

河口に近い橋を渡ると、高鍋に到着した。このあたりにくると、宮崎に近いのか、乗りこんでくる客は少なかった。1線スルーとなっているため、分岐の所でも速度を落とさずに走るのが、スピードアップの原因であろう。佐土原に来ると、海が見えなくなり、今度は、シーガイアが見えるようになってきた。15時08分。ちょうど1時間で宮崎駅に到着した。隣のホームには、すでに485系の元ハウステンボス色の「きりしま」が停車していた。

 「きりしま」は、3両であった。あまり乗りかえる乗客は多くはなかった。15時15分。30%くらいの乗車率で発車した。さきほどの「にちりん」に比べると、スピードは確かに遅かった。はじめに車内放送で鳴る、アナログのオルゴール音には驚いてしまった。なんと高速回転で鳴らしていたのであった。かなり、メンテナンスが悪いのであろうか。高速のオルゴール音は、初めて聞いた。

清武駅では、乗降者はなかった。そして、山間部に入っていき、青井岳を過ぎてから、いきなり急停車をした。一体何事かと思って、心配したが、すぐに発車した。すると、信号所があり、そこに普通列車が止まっていた。これで、答えがわかってしまった。どうやら、普通列車が遅れていたからであった。途中、宮崎行きの「きりしま」と行き違った。しかも、停まった信号所は、昔はホームがあったのか、その跡らしきものがあった。反対方の「きりしま」もたいした混雑ではなかった。喫煙車ががら空きで、禁煙車が結構埋まっていた。

都城、西都城でも乗りこんでくるのだが、少数で留まってしまった。西都城の駅名版を見ると、志布志線の駅名だけは、塗りつぶされていた。西都城を出ると、左側の車窓に旧志布志線の高架橋が見えた。しかも、途中でなくなっており、廃線跡の痕跡が見つからないか…と思っていたが、橋を渡っていると、志布志線らしき鉄橋を発見。しかも築堤が南西のほうへ伸びていた。西都城を出ると、また山間部に入っていった。Y字分岐のため、スピードもかなり遅かった。そして、霧島神宮駅に到着すると、異国のお方が乗りこんできた。

霧島神宮から先は、山を下ると言う感じでスピードも結構上がっていた。かなり標高が高かったのか、国分市街や隼人市街まで見えるようになった。国分駅でも大隈線があった証拠に駅名版が塗りつぶされていた。そして、宮崎から約1時間半で隼人に到着した。


3.肥薩・吉都線の旅

 隼人に到着すると、すでに吉松行きのキハ40系の普通は停車していた。中に入ると、通学列車となっていた。しかも、先客が…。よくみると、鞄だけが置いてあり、当の本人らは一体…。とりあえず空いているボックスシートがあり、そこに座ることにした。まさか、どこかの高校生の指定席かと思いつつも、そこの席に落ち着いた。発車時間が近づくと、やはり鞄の持ち主らがたくさん乗りこんできた。ほとんどが高校生であった。確かにそのような時間だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが…。

17時22分を過ぎて、遅れていた接続列車を待ってから発車した。かなり満員になったかと思っていたが、全員がなんと着席していた。都会なら相席を嫌がってか、立っているのが普通なのだが、誰も立っている人がいなかったのには、少々驚いてしまった。

次の日当山では、すでにだいぶ降りてしまった。かつて本線を主張していたのか、行き違いの駅のホームでは、かなりホームが長かった。しかも標高も高くなってきた。嘉例川では、廃ホームがあった。しかも、それがかなり長かった。

肥薩線の途中駅、霧島西口は、大きなホームに、広い構内を持っていた。駅舎も大きく過去の繁栄振りを物語っていた。この駅で大半の高校生が降りてしまい、寂しくなってきた。大隈横川駅も、かつての本線を象徴していたかのような駅であった。そして、吉松の一つ手前の駅、栗野駅に着いた。まずは、ここで気になるのは、廃線となった山野線であるが、暗いせいで、何も見えずに、廃線跡すら見れなかった。しかし、これが分かるかのように駅内は広かった。そして、ワンボックス1人分くらいの乗車率で、終点の吉松には、18時17分に到着した。この時間の吉松駅は、ラッシュ時時間なのだろうか…

 18時18分発の人吉行きの最終列車。そして、18時19分発の都城行きの普通列車と、立て続けに発車して、まるで夕方のラッシュのよう、しかし、客と言えば、どちらも全くいなかった。18時19分発の都城行きの列車は、キハ40系の単行であった。しかし、スピードは先ほどの肥薩線に比べ、速かった。京町温泉駅に着くと、吉松から乗っていた乗客は、全員降りてしまった。そのかわり同じ量の乗客が乗りこんできた。えびの飯野にくると、ほとんどが高校生であり、さしづめ通学列車となった。

そして、小林でその高校生が全員降りると、今度は、また別の高校生がたくさん乗りこんできた。大勢乗りこんできたのは、小林までで、そこから、だんだんと乗客は減っていく。そして、19時46分、約1時間半かけて、終点の都城に到着した。終点まで乗っていたのは、我々と高校生2人だけであった。

 都城駅を出ると、すごく静かであった。やはり大都市とは違っていた。飲食店を探すが、飲み屋しか見当たらなかった。そのため、メイン道路のある通りまで出ることにした。しばらく歩くと、中華料理店を発見した。なんとかメシにありつく事が出来た。しかし、次の電車は21時20分発と1時間以上あったため、かなり時間が余るだろうなぁ…と思っていた。しかし、注文した品が遅く、かなり待たされた。しかし、この待たされたのが、功を奏した。普段なら、遅すぎる!と怒るのだが、今回は歓迎してしまった。

1時間近く店にいて、20時50分過ぎに都城駅に到着した。待合室もあまり人がいなかった。吉都線の最終列車に向かう人も鈍く、また日豊線のほうも客足は鈍かった。21時10分頃になり、宮崎行きの普通が到着した。455系の元急行型車両であった。乗客は、ほとんどいなかった。往年のボックスシートを1人占めして、あっという間に宮崎に近づいてきた。いよいよ、これから豪遊券の旅が始まろうとしていた。22時10分頃、南宮崎に到着した。


4.ドリームにちりんの旅

 南宮崎に着くと、しばらくはコンビニを散策した。そして、駅に戻っても、まだ「ドリームにちりん」の改札は行われておらず、待合室で待っていた。23時前になって、やっと改札が始まり、すぐにホームへ向かった。しかし、誰も「ドリームにちりん」に乗る人はいなかった。

まずは、先頭車の自由席の車両へ行って見る事にした。喫煙車であるが、たしかにハイデッカー構造となっていた。先頭の自由席は居住性がよさそうだが、喫煙であるのが、ダメであろう。23時30分ガラガラでドリームにちりんは、発車した。宮崎に到着すると、やはり数人が列を作っていた。最終列車なので、やはり多い。しかし、満席になることはなかった。

予定では、このまま折尾まで自由席利用と考えていたのだが、車掌が車内改札をはじめたときに、延岡まで周遊券、そこからグリーン豪遊券を使うと言ったら、グリーン車に移動するのか?と聞かれ、これは、豪遊券有効日の前日のだから、指定が取れなかったと言うと、席があるかどうか探してくれた。そして、高鍋を過ぎて、日向市に来た辺りで、グリーン車が空いているので、座っても良い。といわれた。遠慮なく行くことにした。これで、快適な睡眠が期待できそうだと思ったが、やはり眠れなかった。ウトウトとして、目が覚めると、大分に停車していた。そして、フッと目が覚めても、まだ大分に停車中…。

そして、今度はやっと眠る事が出来た。中津の到着で、目が覚めた。宇島を出た辺りから、速度が遅くなった感じであった。いつもなら、この辺りは、トップスピードで走るはずなのに…と思いながら、眠っていた。しかし、それにしても、全くスピードが出る気配がなかった。行橋を出発してから、車内放送が入った。すると、霧のために、約10分遅れているという放送が入った。やはり、スピードが遅かったから、おかしいと感じていた。小倉に到着して、あわただしく、発車した。しかし、遅れは回復しなかった。約10分遅れて、折尾駅に到着した。






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